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愛染明王について

熊谷市指定有形民俗文化財 「愛染明王」

愛染明王と信仰

本尊の「愛染明王」は、熊谷市下川上地区にて時代を越えて保存されてきた。江戸時代以降、「藍染」と「愛染」の関わりから、関東一円の多くの染物業者などが参拝し、染色業者をはじめ、花柳界・木遣り等の額、算額が奉納され、庶民信仰の文化遺産として今に伝えられてきた。
 

愛染明王の伝承と仏像

宝乗院愛染堂の本尊は、大同元年(806)、日本一木三体の一体(その他、陸奥国、筑紫国)として造立されたとの言い伝えが語り継がれている。その後、江戸時代に入り仏師の手によって、「愛染明王」が制作された。像高は、髪際までの高さで約三尺六寸(1.09メートル)を計り、全体で1.45メートルの大きさを誇る。台座と合わせると、半丈六(2.42メートル)を越える大きさとなる。
 
熊谷市立江南文化財センター 山下 祐樹

熊谷市下川上に祀られている愛染様のご本体は愛染明王である。御尊体の御開扉は五十年一会とされている。従って村人でもご本尊を拝んだ方は少ないのだそうである。

幸いこの寺を兼務されている、上中条実相院職宮崎師から、歴史研究のためには、という特別なご配慮を項き、ねんごろなご祈祷と檀徒総代立会いの上、開扉頂くことができた。安置されている愛染明王についても、宮崎秀田師が貴重な資料を寄せられた。
◎「天台宗医王山南栄寺別格式寺乗院」愛染堂御本尊「愛染明王仏」縁革史。

愛染明王の仏姿につ

愛染明王を略して「愛染王」とも別称する。すなわち大愛欲と大貪染〈だいどんぜん〉に住する尊仏で衆生を往昔の悲願に酬い仏の本誓に答え現ずる仏力を有する仏にて形像は赤色にして三目六臂の仏相、赤色は実在の日光の輝きを示し三目の怒相は三界(宇宙)の諸天を折伏する形相、六腎の中において左の上手を拳に作れるは、所求を成就するを表し、右の上手に蓮華を持つのは汚れを払って心に任せて妙智を円満するを表わすお姿なり。
 
に五鈷杵〈ごこしょう〉を執り左に金剛持っていのは大悲の本誓を表わし衆生界を安立する形仏相であり、下手の左に金剛弓、右に金剛箭を持つのは四魔三障を払い、悲観厭世〈えんせい〉の妄心を射取るお姿で、赤色の大蓮華台に座っている姿は寂然不動の相を表わし、口を開いているのは絶対なる阿字大空の意義を顕わす。また毛髪の逆立相は魔縁降伏の相を示し、項に師子冠を冠るは七曜の凌逼を現ずる。獅子の頭に五鈷鈎のあるは万徳の鈎召を標し、蓮台の下に宝瓶〈びょう〉あるは諸宝を吐き衆生の意願に従って自在に財福を施す義を顕わすもので、この仏形相〈ぎょうそう〉は一身両面にしてその一面は男一面は女を現じ、すなわち男面は「勇猛」女面は「柔和〈にゅうわ〉」を兼備表現す。内に自覚本不生の月殿を秘し、外に愛染明王の日輪を現じ、一仏分身の具体にして和光利物の方便を顕わしている。
愛染の名は絶対の大愛大貪染を以て世間の加持浄化を主旨、家庭の波乱を治め、煩悩より生ずる男女の葛藤を解き迷心濁乱の水を澄ませ以って絶対の大愛大貪染の法門に悟入せしむるを本旨とする御守護仏である。
 

※永年かや葺屋根のため時代に即応し瓦葺に大改修の施工をし、当時150万円を要し、その年10月に50年一会の「愛染明王御開扉」を執行、熊谷市染職業者組合の基礎となる。愛染講の母体結成と共に本格的大活動始まる。

 

○「御本尊愛染明王仏」についての由緒縁革
歴代住職の古文書に依れば、平安時代即ち今を去る1170余年前の大同元年正月、「◎日本一木三体彫刻大仏像」の一体として仏縁により当山へ安置す。
身丈「五尺三寸余」 木彫製座像。(赤色大仏像珍宝文化財座像仏)。
各三体の仏像は「陸奥国」「日本の中心地当山」「筑紫国」と分安置され、三体共に村落郊外の農村地で、然も存在地の村名異なると難も字名「下川上」 という共通性をもつ字名でもあり不思議な仏縁的地域名といえよう。推察するに当時の仏教文化に伴ない人間住居の地域文化としての河川の利用と人間住居生活地候補の場としての由縁か想像的遺産でもある。然もこの地に信仰道場として寺院を建立し降魔折伏安住を祈願信仰の発生地としてか、定かではないけれど当時の文化地域としての想像は疑うべくもない。すでに西洋史にも述べているが如く、人類の発生地(チグリスユーフラテス河畔)の例もある。仏教文化伝来に伴なう初期でもあり、時代的に庶民の仏教信仰の最盛期としても取り上げられる一面でもある。
 
○当山愛染明王の信仰における信者の分布
江戸時代中期〜大正初期は東京都を中心に関東一円にわたり染職業界との信仰的交流が、盛んに行なわれ、この事実は堂内に寄進されたる種々の「当時をしのぶ絵額」により認知されるものである。
当地を中心に行田市、羽生市、加須市、騎西町、大利根町、吹上町、鴻巣市、北本市、桶川市、上尾市、川越市、東松山市、寄居町、秩父市、大宮市、等を初め古河市、伊勢崎市桐生市、前橋市、境町、太田市、草加市縁線地等関東一円にわたり業者の寄進物と照合し知る事ができる。特に_線を引いた地域は今日でも数人参拝祈願に見えている。昭和40年ごろまで深谷市、本庄市、川本町の縁線地域より業者の参拝があったが最近は業界の不振でか来ない現状であるが、業界の隆盛期が到来すれば、共に元復するであろう。現今では熊谷市染職組合を中心に須影村、妻沼町、近隣地域の業者に限られた信仰状態なので、昔日に帰し隆盛を念願し、その方途を研究期として努力中である。
 
○最近は昔の方途と異なり、乗用車往行時代に則り、下川上地域を中心とし中条、南河原、行田池守、熊谷池上、上川上等の地域の「交通安全護摩供奉修」が主体で「家内安全護摩供」併修と共に熊谷市染職組合、上記_地域の一部業者数少者参拝祈願者の「商売繁盛護摩祈願」
 
熊谷染色の歴史(非売品) 昭和58年9月 熊谷の染色を語る会発行 参照